「足るを知る」への違和感
「足るを知る」という言葉があります。今、自分が持っている物や置かれている状況に満足しよう、といった言葉です。これって、ミニマリストに多い考えだと思うのですが私は全部は納得いかないんです。
この違和感について考えてみました。
多くを求めると不幸せに 。でも諦めすぎはダメ
満足せずに多くのものを欲しがるのは不毛です。あれもこれも欲しがって、家も、家族も、車も、素敵な服も・・色々な物を持とうと思うと、手に入れるには難易度が高いため、人生を苦しいものにしてしまいます。
だからと言って、あまり興味のない仕事に甘んじて、欲望を抑えて生きるのは違うと思っています。
例えば、本当はやりたいことがあるはずなのに、「コンビニで1日7時間バイトして、生活が厳しいけど納豆ごはんを食べて幸せ」とかそういうのは、諦めすぎなんじゃないかと思います。こういう友達がいたとしたら、向上心のなさにガッカリしますね。
その人がコンビニで働くのが夢で、納豆を毎日食べるのが楽しみならそれでよいと思います。でも、本当はやりたい仕事があって豊かな食生活をしたいなら、コンビニバイト&納豆の毎日に甘んじるのは、自分の人生に「妥協」し過ぎなんじゃないかと思うんです。
そういう人は、大抵は腹の底から現状を幸せと思っていなくて、職場の愚痴を言ったりしている。
欲望を持ちすぎるのは悪、向上心は善
足るを知る=今の環境や持っている物に感謝をする、というのは間違ってはいない。しかし欲望を消してはいけないと思う。欲望が無かったら社会は発展しない。でも欲望を持ちすぎると苦しいし失敗する確率が高い。
じゃあ、どうするかというと、欲望をコントロールすることが正解だと思う。
あれもこれも欲しがらず、でも本当に欲しいものは諦めない。1つか2つに絞って、計画を立てて実現させる。で、その夢が叶ったら、次の夢を取りに行く、という感じが良いんじゃないかと思います。
欲望は誰でも、いくつか持っていますが、それに加えて現代は情報が多すぎるので、テレビやネットを見ているだけで欲望は500個くらいに増えてしまう。
じゃあどうするかというと、数を減らすというより、優先順位を付けて、本当に人生で大事なものから先にやっていく。あるいは、長期プランを立てて、今は子供がいるから旅行に行く夢は後にとっておこうとか、資金を溜めている間はお金のかからないジョギングを趣味にして50歳からヨットに乗ろうとか、時間軸を長く持つこと。長期的な視点に立ったコントロールが必要。
選べる時代の幸せ。答えは自分が知っている
人生に対して「足るを知る」の感謝の気持ちを持ちながらも、向上心は忘れずに。計画的な人生を送って、死ぬ時に悔いが無いようにしたいものです。
昔の人は情報が無かったために、近所の人の生き方しか知らなかったので、自分の人生に疑問を持つことなく、農夫や漁夫で一生を終えられました。それは選択肢が最初からなく迷いようが無かった。全く考えなくても、生まれで人生が決まっていたのです。でも現代は、どんな生き方も選べます。
だからこそ苦しみ、人と比べて鬱になったり焦ったりもする。本当に、成功者と失敗した方の差がめちゃめちゃ大きい。
多くの情報に囲まれ、皆が右往左往しているなかで、自分を確立するのは大変です。でも、自分が心からやりたいと思うことが絶対的な答えなんです。自分が、本当にやりたいことをやっていきましょう。